東京高等裁判所 昭和53年(う)2389号 判決
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【説明】
本件は、新聞紙上で「真犯人は妻(被告人)か夫か」として騒がれた事件である。被告人は、捜査段階及び初期の公判段階まで自己の犯行を認めていたが、その後自白を翻し、「本件は夫の犯行で、自分は身代わりである」旨主張した。第一審判決は、被告人の自白には合理的な疑いが残り、その信用性に強い疑問が存するとし、結局、証拠不十分により無罪とした。これに対し、検察官から事実誤認を理由として控訴の申立がなされていたところ、本判決は、新たに証拠調をした上、被告人の自白の信用性を認め、同人の否認供述の信用性を否定して一審判決を破棄し本件を浦和地裁に差し戻した。本件は、被告人が犯人であることを直接明らかにする物的証拠がほとんど存在しない事実認定の難しい事件であり、本判決の事実認定の方法は今後の実務の参考になると思う。なお、被告人上告中なので、最高裁の判断を注目したい。
【判旨】
第一序論
本件公訴事実は「被告人は、かねてから父濱名善右衛門(当時七二年)と不仲であつたところ、昭和五〇年一一月一四日病気入院中の母濱名富貴子のことで右善衛門と言い争いをして同人から押し殴るの暴行をうけたうえ、翌一五日にも言い争いを重ねていたものであるが、同日午後七時三〇分ごろ、埼玉県北本市大字下石戸七〇三番地の三日本住宅公団北本団地三街区一七号一〇九号室の自宅において、右善右衛門に対する憎悪の念がこうじて、にわかに同人を殺害しようと決意し、手提鞄の中にあつた果物ナイフを右手に持ち、風呂場入口付近にうしろ向きに立つていた同人の背後から、右ナイフで同人の背中を一回突き刺し、よつて、同人をして即時同所において、胸大動脈刺切により失血死させて殺害したものである」というにある。
これに対して、原判決は、被告人の自白の真実性には未だ合理的な疑いが残り、その信用性に強い疑問が存するうえ、これを補強すべき池本健二の捜査、公判段階における各供述も、その信用性に強い疑問が存するところ、他に被告人を本件殺人の真犯人と認定すべき十分な価値ある証拠も存しないから、結局本件公訴事実につき、犯罪の証明が十分でないとして、被告人に対し無罪の言渡をした。
検察官の控訴趣意は、要するに、池本健二の司法警察員に対する昭和五〇年一一月一五日付及び検察官に対する同年一二月四日付各供述調書では被告人の本件犯行直後の状況が詳細に供述されており、さらに、池本健二は原審第三回(第二回の誤記と認める。)、第二一回ないし第二三回公判廷においても右捜査段階におけるとほぼ同一内容の証言を繰り返し、本件の犯人は被告人に間違いない旨証言しているところ、右証言内容の一部に記憶の混乱等が認められるが、その時々における記憶に基づきありのままを正直に証言していると認められ、これらの供述を正当に評価すれば、高度の信用性及び証明力があるものというべきである。次に、被告人は、司法警察員に対する昭和五〇年一一月一六日付供述調書(二通)では、本件犯行の状況に関して客観的事実と符合しない支離滅裂な供述をしているが、その後同月二一日付供述調書では、自己の犯行状況を詳しく自供し、同月二二日付供述調書でもその補足供述をし、以後司法警察員及び検察官に対して同趣旨の供述をし、一貫して自己が本件の真犯人であることを認め、原審でも第三回公判まで右供述を維持していたものであるが、被告人の右自白は十分信用に価するものである、被告人は、昭和五一年七月一九日付検察官に対する供述調書で本件の真犯人は池本健二であり、被告人は健二の身代わりになつてきたものであると述べて公訴事実を否認し、その後の原審公判廷においても同趣旨の供述を繰り返しているが、被告人の右弁解は極めて不自然、不合理であつて、到底措信し得ないものである、以上のとおりであつて、本件各証拠を正当に評価すれば、被告人に対する本件公訴事実の証明は十分であるのに、原判決は、証拠の取捨選択を誤つた結果、事実を誤認し、被告人に無罪を言い渡したものであつて、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。
よつて以下、記録及び原審の取調べた証拠を調査し、当審における事実取調の結果を合せ検討する。
第二事件発生直後の状況並びに被告人及び池本健二の供述経過等
原審証人三田甲次、同杉田高光、同津久井保寿、同大山泰造、同濱名きみ代の各供述並びに司法警察員作成の昭和五〇年一一月一五日付捜査報告書、緊急逮捕手続書、同月一六日付実況見分調書、同月二〇日付検証調書、同月一六日付写真撮影報告書、同日付捜索差押調書、押収に係る録音テープ一巻によると次の事実を認めることができる。
(1) 昭和五〇年一一月一五日午後七時五六分、被告人から埼玉県警察本部警ら部通信指令課に対し「父が風呂場で血だらけになつて死んでいる」旨の一一〇番通報があり、同室から指令を受けた所轄鴻巣警察署の警察官らが同日午後八時一〇分前後ころ本件現場である埼玉県北本市大字下石戸七〇三番地の三日本住宅公団北本団地三街区一七号棟一〇九号室の当時の被告人方に急行したところ、被告人方浴室内において被害者である濱名善右衛門(当時七二年)が死亡しており死体を検視した結果、同人の背部に外傷が一か所あることが確認された。警察官らが本件現場に臨場したときは、被告人方には被告人及びその夫である池本(その後離婚し宮崎姓に復した。)健二がいたのみで、外部から第三者が被告人方へ侵入した形跡は認められなかつた。
(2) 同日午後八時一二、三分ころ本件現場に臨場した警察官三田甲次が被告人方四畳半の間にいた健二から事情を聴取したところ、同人は「寝ていたところがガタンという音がしたので見たところ、女房がナイフを持つていた」という趣旨の説明をし、一方同警察官が六畳寝室のベッドの上にネグリジェを着て寝ていた被告人から事情を聴いたところ、被告人は「寝ていて、入つていつたら死んでいたのでわからない」と答え、さらに詳しく事実を話してくれるよう求めたが、被告人は「頭が痛い、結核で寝ている者に聞いてもしようがない、警察は病人にそんなにしつこく聞くのか」と言つて事情聴取に応じない態度を示したので、同警察官は被告人からの聴取を一旦断念し、健二から更に詳しい事情を聴くため同人を鴻巣警察署に任意同行し、同署において同人から事情を聴取してその内容を供述調書に作成した(池本健二の司法警察員に対する昭和五〇年一一月一五日付供述調書)。
(3) また、本件現場に臨場した警察官津久井保寿は、被告人が病気を訴えるので医師の診察を受けさせた方がよいとの判断から、同日午後九時ころ林医師に電話で往診を依頼した。同日午後一〇時ころ同医師が診察した結果では被告人は風邪気味で血圧が少し低いという程度であつた。また、同警察官は、健二を警察署に任意同行したあと被告人が一人となつたため被告人の親戚等身近な者を呼んでおく方がよいと考え、同日午後九時半ころ杉並区阿ヶ谷に在住する濱名きみ代に、事件があつたので至急来てもらいたい旨を電話で知らせた。同日午後一一時三〇分ころ本件現場に到着した県警本部捜査第一課杉田高光警部補がベッドに寝ている被告人の枕元で被告人から事情聴取をしたところ自供をし始めたので、正式に被疑者としての取調手続をとつて供述を求め、供述調書を作成した(被告人の司法警察員に対する昭和五〇年一一月一六日付供述調書三枚綴のもの)。もつとも兇器については、被告人の述べる仏壇の引出しの中からは発見されず、また被告人はベッドの下にあつた菜切包丁を使つたとも述べたが、右菜切包丁には血液が付着していないし、水で洗つた形跡もなく、結局、この段階では兇器は発見されなかつた。
(4) 被告人は、同月一六日午前三時一五分被告人方において緊急逮捕されて鴻巣警察署に引致され、同日同署において、取調が行われ供述調書が作成された(被告人の司法警察員に対する同日付供述調書一五枚綴のもの)。右取調中、被告人は本件の兇器である果物ナイフは「仏壇のおばあちやんのお骨の下か引出し辺りに入れてあるかも知れません」と再び供述するので、その頃令状により被告人居宅を検証及び捜索中の警察官に連絡し、仏壇の中を捜索したところ、仏壇の隠し引出し内から本件果物ナイフが発見された。
被告人は、同月一八日発付の勾留状によつて代用監獄鴻巣警察署に勾留され、司法警察員及び検察官による取調べが行われ、同月二〇日ないし二二日付並びに同年一二月三日ないし五日付司法警察員に対する各供述調書が、また、同年一一月二二日及び同月二九日、同年一二月五日付検察官に対する各供述調書が作成された。以上の各供述調書は、全体として自白を内容とするものである。
また、被告人は、原審第一回公判における被告事件に対する陳述では、公訴事実中「本件当日も被害者善右衛門と言い争いを重ねていた」とする点及び「殺意」の点を否認したが、本件が被告人の犯行によるものであることを認める趣旨の陳述をした。
(5) 被告人は昭和五一年七月七日大山泰造検事宛の召喚願を差し出し、検察官はこれを受理して同月一〇日、一二日、一五日、一九日の四回にわたり同検事が被告人を取り調べたうえ供述調書を作成した(被告人の検察官に対する同月一九日付供述調書)。右供述の骨子は、本件は被告人の犯行によるものではなく、真犯人は夫池本健二であり、被告人は健二の身代りであるということにある。さらに、被告人は同年八月二六日に同検事の取調をうけ、これまで供述していなかつた事実として、同五〇年八月頃健二に父善右衛門を殺せと言われて、父の背中を短刀で刺したことがある旨供述した(被告人の検察官に対する昭和五一年八月二六日付供述調書)。
被告人は、原審第五回公判(昭和五一年九月一日)における裁判長の質問に対して、第一回公判(同年二月六日)でした陳述を訂正する旨を述べ、同第七回公判(同年一一月二四日)において、本件は夫健二の犯行であつて、被告人はその身代りである旨を詳しく供述し、以来その供述を維持して来た。
第三被害者の死体及び現場の状況並びに本件の兇器
<証拠>によると次の事実を認めることができる。
(1) 本件現場に警察官が臨場したとき、被害者善右衛門は、前記の被告人方風呂場内の洗場の床上に、右側頭部を出入口ドアの下部に当て、左肘を南側壁面に接し、右腕及び両脚をそれぞれ床上に投げ出した状態で死亡しているのが現認された。被害者の着衣のうち、肌色シャツ、白色ワイシャツ、濃茶色カーディガンの各背部には刺切創に符合する個所に鋭利な刃物によつてできたと認められる疵があり、この疵を中心としてほぼ背部全体に血液が付着しているほか、肌色シャツ及び白色ワイシャツの左脇腹から左前部にかけても血液が付着していた。
本死体には、外傷として肩甲間部に刺切創が一か所存在し、他に左肩甲下部に表皮剥脱、左前腕前面に皮下出血、下唇に挫創がそれぞれ認められる。右の肩甲間部の刺切創は、左上方から右下方に走る長さ二センチメートル、幅0.3センチメートルの〓開創で、左右の創縁は整鋭、上創端は鋭、下創端は鈍、刺創管の長さは約九センチメートルで胸大動脈、左肺、左第七肋骨、第七胸椎などを刺切し、刺創底は縦隔後部軟組織に達している。右刺切創は他為によつて生じたものと認められ、その成傷兇器の種類は刃幅約二センチメートル、刃渡り九センチメートル以上、峰幅約0.15センチメートルの薄刃の有尖片刃器と推定される。なおABO血液型検査の結果では、被害者の血液型はA型である。
解剖検査の結果、本死体の眼瞼及び眼球結膜に溢血点が認められないことから、死因は胸大動脈刺切による失血死と鑑定されている。また、他の関係証拠をも総合すると、被害者が殺害された時刻は、昭和五〇年一一月一五日午後七時三〇分から同日午後七時五六分までの間と推定される。
(2) 被害者が殺害されていた風呂場は、被告人方住宅北西隅に位置し、内部は、北側に浴槽及び風呂釜が東向きに設置され、その南側に洗場がある。洗場の床面に洗濯用プラスチック製桶一個が横転していた。当時浴槽には木製の蓋(四枚蓋)がされていた。洗場東側に幅約0.8メートル、高さ約1.63メートルの出入口があり、蝶つがいで南側部分が固定された内開きのドアー一枚が設けられている。本件当日一一〇番通報により被告人方に臨場した警察官が見分したとき、このドアーは閉められていて、被害者は浴室内部で仰向けに倒れかかるような状態で、後頭部及び上半身背部がドアーの下部にもたれかかつていた。
(9) 風呂場及びその付近に付着していた血痕の状況
(イ) 風呂場出入口前の通路及びそこに置かれた足拭きマット上には、上から滴下したと思われる大小合わせて約二、三〇個の血液が付着している。
(ロ) 風呂場出入口から前記通路を隔てて反対側(東側)の壁面の床から約1.8メートル付近に血液が付着している。
(ハ) 風呂場出入口の内側、すなわち出入口の木枠上部及び北側部分並びに木枠北側部分に近い壁面にいずれも粟粒大の血液が数十個付着しており、その付着状況は、床面から1.94メートルの高さに及び、血液が吹き上つたように点在している。壁面には血液のすり付いた様な付着が認められる。風呂場出入口のドアーには血液の付着は認められない。
(ニ) 浴槽上の木製蓋四枚の表面に粟粒大の血液が多数付着している。
(ホ) 風呂場内部南側壁面の被害者の死体の左肘付近が接触した部分に相当する箇所に、擦り付けたような血液の跡が一箇所認められる。
(ヘ) 風呂場の洗場の床面には、被害者の上半身の下にあたる部分に、ほぼ一面に血液が付着している。
(ト) 通路南側にあたる被害者の使用していた四畳半の間の前の床上に三個の血液が付着している。
(4) 押収に係る果物ナイフ一丁は、前述のとおり、被告人の供述により被告人方六畳間に置かれている仏壇の隠し引出しの中から発見され、押収されたものである。右果物ナイフは、刃渡り約一五センチメートル、最大幅約二センチメートル、刃の尖端から約九センチメートル付近の刃幅は約1.85センチメートル、最大峰幅約0.21センチメートル、刃の尖端から約九センチメートル付近の峰幅は約0.15センチメートルで、前記被害者の死体背部の刺切創に対する成傷兇器の特徴と一致する。
第四池本(宮崎)健二の供述の信用性
一すでに検討した客観的な状況事実から判断すると、本件濱名善右衛門殺害の犯人は、被告人か又はその夫である健二かのいずれかであつて、それ以外の第三者による犯行と認められる証跡は全くない。しかも、右両名のいずれが犯人であるかを直接明らかにする物的証拠がほとんど存在しない。したがつて、本件公訴事実の立証はいきおい右両名の供述に頼らざるをえず、被告人の自白(その信用性等については後に検討する。)を除いては、池本健二の供述が証拠として最も重要な意味をもつことになる。
ところで、健二の供述は、原審段階においては、司法警察員に対する昭和五〇年一一月一五日付、検察官に対する同年一二月四日及び同月八日付各供述調書のほか、原審第二回、第二一ないし二三回公判における各証言がある。これらのうち、捜査段階におけるものは、内容的にみて一二月四日付の調書が中軸となるので、以下同調書と右各証言の内容とを彼此対照し、さらに、同人の当審公判廷における証言をも参考として、以上の供述証拠の信用性について検討する。
二健二は、検察官に対する昭和五〇年一二月四日付供述調書で、本件犯行のあつた前後の状況について、次の趣旨の供述をしている。
健二は、昭和五〇年一一月一五日午後五時ころ、父(善右衛門のこと)及び富江(被告人)の三人で夕食をとつた。食事のあと、富江と父とが前日同様、母(富貴子のこと)を退院させる、させないということで口喧嘩を始めたのでこれを止め、そのころテレビで相撲をやつているのを見ていたが、また喧嘩が始まるとうるさいので先にベッドに入つて横になつた。富江は、隣の四畳半の間で音楽を聞いたり、唄を歌つていたが、そのうち健二のいる部屋に来て唄が歌えなくなつたと言つて泣いたりなどしていた。父は、自分の部屋に行つたのか、或は片付けものでもしている様子であつた。富江の当時の服装は何であつたか記憶にない。富江は服を始終着替えていた。
健二が眠つてしばらくして、風呂場か便所の方で「ウワーツ」と言う大きな声とともに、「ドーン」というドアーに何かがぶつかつた様な大きな音が聞えた。この音は何だろうと思つて自分のいる部屋から勝手を通り音のした方へ出て行こうとしたとき、富江が勝手の方から自分のいる部屋に入つて来るのに出逢つた。普通に歩く様な歩き方で部屋に入つて来たが、右手には果物ナイフを握り、手は下げていた。その手のあたりに血がついているのを見て、富江が大変なことをやつたのではないかと感じ、最初はトイレで何かあつたのかと思つてトイレのドアーを開けてみたが異状はなく、さらに浴室のドアーを押したところドアーがなかなか開かず、思い切つてドアーを開けて中に入つた。浴室内には、父がドアーに背を向けてもたれる様にし、足をのばしてグッタリしていた。左腹辺りに血がにじんでいるのが見えた。父の顔は既に真白になつていて、近づいて脈を取つてみたが脈はなく、眼瞼をあけると、開いたままの状態であり、既に息もなく死んでいる様子であつた。
健二は、富江が果物ナイフで父をやつたのではないかと考え、寝室に引き返したところ、富江は部屋の真中に座り込んでぼう然としていた。先程の血の付着した果物ナイフはどこにやつたかその場には見当らなかつた。健二は富江のやつたことなので「すぐに警察に電話しろ」と言つた。そのとき富江が「水が欲しい」と言うので、コップに水を汲んで来てやつた。そのあと富江は電話で警察に「父が死んだから来て欲しい」という連絡をした。
右供述内容は、前述した客観的な状況事実ともよく符合し、とくに不自然、不合理な点はみあたらない。加えて、健二は、本件発生直後現場に臨場した警察官に対しても、「寝ていたところがガタンという音がしたので見たところ、女房がナイフを持つていた」という趣旨の説明をし、さらに同日鴻巣警察署での事情聴取でも、前記供述内容とほぼ同旨の詳しい供述をしている。また、現場に臨んだ警察官や取調に当つた警察官の原審証言によれば、健二が幾分クスリか何かを飲んでいるかなという感じは受けたが割合に態度が落ち着いており、殺人の事実について追及されても、健二は動揺を示さず、供述態度等に特段不自然なところもみられなかつた、というのであつて、これらの点に徴しても、健二の前記供述は十分信用に値いするものと認められる。
三これに対して、原判決は、池本(宮崎)健二の供述の信用性を否定し、その理由としていくつかの問題点を指摘しているので、これらの点について逐次考察する。
(1) 原判決は、健二は、捜査段階では、被告人が部屋に入つて来たとき、右手に血のついた果物ナイフを持つているのを見たと供述し、原審第二回公判廷でも、右供述を維持したが、原審第二一回ないし二三回公判での供述では、ナイフを持つていたのを見たとする供述と見なかつたとする供述とを変転させており、健二が、被告人が手にする果物ナイフを見て、被告人の本件犯行を察知するに至つたとするならば、これは夫として一生忘れ得べくもない重大な事柄であり、そう簡単に記憶が薄れるとも思われないのに、この点に関して全く曖昧なのは不可解であり、翻つて考えると、健二の捜査段階における右供述が虚偽であつたのではないかとの疑いを生ぜしめる、と説示している。
健二の捜査段階での供述調書によると、たしかに、被告人が血のついた果物ナイフを手に持つていたのを見た、ないし果物ナイフをもつていた手に血がついていたのを見たとの供述があり、この部分は、その直前に風呂場か便所の方で「ウワーツ」と言う大きな声とともに「ドーン」とドアーにぶつかつた様な大きな音がしたとの供述とともに、本件が被告人の犯行であるとする健二の供述の中核をなすところである。
ところで、健二は、原審第二回公判(昭和五一年三月一九日)に情状証人として出頭したときは、被告人が兇器を持つていたのを見たことを肯定する供述をしたが、続行を予定された第三回公判には出頭せず、以後所在不明となり、二年後の第二一回公判(同五三年三月一〇日)に勾引状によつて出頭している。この公判の冒頭では、健二は、検察官の質問に対し、従前と異り、被告人は刃物のようなものは持つていなかつたと答え、今の記憶はどうかという質問に対しても、「当時のことはもう自分は忘れた気持で、本当に覚えてないですね」と答え、ただ捜査段階では記憶にあつたとおりを述べていることは間違いないとしている。さらに、裁判長から記憶喚起を求められたが「当時、自分は薬飲んでて、起つたことと今日こうやつて立つこととゴチャゴチャになつて……」とその心理状態を説明しながらも、被告人が刃物を持つていなかつたことは間違いないと述べている。このあと検察官の質問で、被告人が本件の真犯人は健二であつて、自分は健二の身代りとなつている旨主張していることを知らされたのであるが、そのあとの裁判長の質問に対して「兇器を手に持つているところは、自分は見てないような気がするんですよね。はつきりしたことは覚えてないです」と答え、供述に微妙な変化が現われている。さらに、次の第二二回公判での裁判長の質問に答えて、検察官の調書で被告人が血のついたナイフを手にぶらさげていたと述べたことは覚えており、そのとおり間違いない、被告人がナイフをぶらさげて部屋に来たのを見た、と明言している。そして裁判官から前回の公判での供述とのくい違いを問い質されたのに対して、「はつきり言えないような自分の頭の中の感覚でしたから」とし、あらためて、血が付いていたかどうかは覚えていないが、被告人がナイフを持つていたのは見たと述べている。もつとも、同第二三回公判での供述中、弁護人が本件果物ナイフの隠し場所と関連して質問したのに対し「血の付いたナイフというのは見ないですね」と答えている。この供述はナイフを見たがそのナイフには血が付いていたかどうかということは見ていないという趣旨と解され、それまでの供述を変えたものではない。
これらの供述を詳細に検討すると、健二の二年に及ぶ所在不明後の第二一回公判の冒頭での供述は、明らかに被告人が果物ナイフを手にぶらさげていたことを否定している。ところが、被告人が真犯人は健二であると言つていることを知らされた直後の供述は、肯定しないまでもあいまいな供述に変り、さらに第二二回公判では明確に肯定する供述をしている。この点について当裁判所が事実取調をした結果、当審における健二の証言によると、同人は「初めの供述、記憶の新しいほうが間違いないと思います、というのは、自分は(事件)当時はもう薬、薬で、もの事がわからないぐらいの薬じやないんですけれども、ぼけておりました」「いろんな思い違いもあるが、血のついたナイフを持つていたことは確かです」「(原審証言で否定した)当時は、被告人に不利なことは言わないという気持もあつたからです」という趣旨の説明をしている。
右のような健二の原審当時の供述心理を前提として、前記原審第二一回ないし二三回公判廷における同人の供述を観察すると、健二は、原審第二一回公判の冒頭では、長期間の空白により記憶が薄れており、自分の妻のために不利な供述をすることを避けていたものの、被告人が真犯人は健二だと主張していることを知つてからは、人情の自然として妻を庇う気持も失せて、やはり従前どおり真実を述べようとの心境になつたものとみられる。このような供述心理の変化を考慮するならば、果物ナイフの件に関し健二の原審供述に前記のような動揺・変化があるのも肯けるのであつて、原判決がこの点に思いを致すことなく、被告人が本件の真犯人であるとする健二の原審証言の信用性まで疑問であるとしたのは、けつきよく証拠の評価を誤つたものといわざるをえない。
(2) 本件犯行当時の被告人の着衣について、健二は、捜査段階の供述では、「当時の服装は何であつたか記憶していない、服は始終着替えていた」「妻が警察官が見えたときパジャマを着ていたが、これは事件のとき着ていたものではなく、そのあとで着がえたもので、その前に着ていたものがどの服であつたか、よく判らない」と述べている。第二二回公判では「下半身には足首まである紺色のジーパンを穿いていたが、上半身には何を着ていたか覚えていない」とし、さらに、第二三回公判では「下半身にはジーパン、上半身にはTシャツのようなものだが色は覚えていない」と供述している。要するに、健二は、捜査段階以来被告人の事件当時の着衣については、明確な記憶がないと述べる点では一貫している。
原判決は、健二が被告人の犯行時の着衣を全くわからないなどというのも不可解であり、また、本件発生後、記憶が未だ鮮明であるべき時期に、被告人の犯行時の着衣が何であつたかすらわからないと供述しておきながら、二年余りも経つた原審公判廷において着衣について述べているのも理解に苦しみ、本件が殺人という大罪であり、被告人の夫にとつて、その時の印象が強く記憶に焼き付いてしかるべき事象であることを考えればなおさらである、と説示している。
たしかに、妻が殺人という大罪を犯したとすれば、その時の印象が強く記憶に残るはずであることは原判決の説示をまつまでもないことであるが、それ故に、妻のその時の着衣について記憶があつて然るべきだとすることは、いささか短絡的というべきであろう。つまり当時の状況からみて、健二にとつては突然の出来ごとに気が動転し、被告人の手にしていた兇器や風呂場での善右衛門の死亡の状況、事件に対する今後の対処に専ら関心を奪われ、当時の被告人の着衣については印象が残らなかつたとしても不自然とはいえず、その後、日時が経つにつれ記憶を整理し、当時の着衣について思い出すことも十分ありうることである。
そこでさらに検討するに、被告人の司法警察員に対する昭和五〇年一一月二一日付供述調書で、被告人は犯行当時の服装を上が黒色の支那服、下がカーキ色のズボン(長ズボンを切つたもの)であると述べ、同日支那服及びカーキ色半ズボンが健二から任意提出されている(池本健二作成の同日付任意提出書)。しかし、被告人の司法警察員に対する同年一二月四日付供述調書によると、被告人が犯行状況を再現するため被告人方に同行されて行つた際、家の中を見たら犯行時にはいていた黄土色の半ズボン(すそを手縫してある。)を発見したとして、同日被告人方で右半ズボンが押収されている(司法警察員作成の同日付捜索差押調書)。
ところで、当審証人宮崎健二の供述によると、健二は、警察官から支那服及び半ズボンの任意提出を求められた際、被告人が犯行当時着ていた証拠品だから警察に渡すとまずいと考えていたことを肯定している。右供述によると、少なくとも、健二は、支那服及び半ズボン二本を警察官が領置するに至つた当時は、被告人の犯行当時の着衣についておおよその推測があつたものと思われる。
健二は、当審における供述で、犯行前の夕食時に、被告人は支那服及び黄土色半ズボンを着用していたとし、「このように思い出したのは、検察官から思い出せと言われ、改めて考えたとき、確かにこれだと思い出した」と述べている。そして、原審でTシャツにジーパンを着用していたと供述した点について「自分はうろ覚えで、いい加減なことを言つた」、「要するになぜ思い出さないかと、問いつめられまして、いやジーパン位じやないかと、要するに逃げたんです。こんな大事なことをどうして覚えていないんだと、何度もそういうことはありましたし、とつさに言つたことであります」と説明している。
健二は、原審では、被告人が果物ナイフを手にぶら下げていたとする点については、一旦は否定する供述をしたが、健二が真犯人であると被告人が主張していることを知つた後の公判廷では肯定する供述に変わつているのに反し、着衣の点については、最後まで明確な供述をしていない。
以上の諸事情を総合して検討すると、被告人の犯行時の着衣について、健二は、捜査段階である程度の推測はあつたと認められるのに、捜査官に対して供述していないのは、要するに、記憶に自信がないことから、被告人に不利益なことはできるだけ供述を回避していたものと解される(兇器の点については、事件発生直後被告人の犯行を知つた重要なきつかけをなすものとして、臨場した警察官に話しているため、被告人に不利となるとしても供述を回避できなかつたものと解される。)。ところで、健二は、原審公判廷で健二が真犯人であると主張されているのを知つた後にも曖昧な供述ないし、Tシャツとジーパンを着用していたと被告人の自供に反する供述をしているのは、一見不自然な感がある。しかしながら、さきにもふれたように、健二にとつては兇器の印象が強かつただけに着衣の印象は弱かつたと認められるうえ、原審第二回公判後二年を経過した後、突然勾引され法廷に臨んだことなどから、すでに記憶が失われていて咄嗟に思い出せなかつたとしても不自然、不合理とはいえず、「記憶がなくて問いつめられいい加減な供述をした」とする健二の当審供述での説明も十分首肯できる。
それ故、被告人の着衣に関する健二の供述に変転や曖昧な点があるからといつて、同人の供述をすべて信用できないとすることは正当でない。
(3) 関係証拠によると、健二は、原審第二回公判期日に証人として出廷して以来、勾留されている被告人のために面会や差し入れに行かず、被告人に対して手紙の一本も出すことなく、善右衛門の遺骨や被告人の持ち物、家財道具などを北本団地の被告人方に放置したまま、滞つた家賃を支払わずに立ち去り、以来第二一回公判期日に至るまで、全くその居所を明らかにせず、音信不通の状態にあつたことが認められる。
この点について、健二は、原審第二一回公判廷で「自分は本件で寝られない位悩み続けた。富江は拘置所に入つているし、仕事は捜さなくてはならないしで、頭が混乱した。富江がやつたことは富江自身で刑事責任を果してこいということで、自分は自分で早く将来の生活の基礎を築こうと思い、裁判そつち退けで仕事を捜し歩いていた。裁判所に証人として呼ばれたのに出なかつたのは、自分の生活が目茶苦茶になつていたからで、長い目で見て、一年や二年、富江に対して音信不通になり、そのため富江から無責任だと思われても、ずつと夫婦として生活して行くのだから、自分はいいと思つた。」という趣旨の供述をしている。原判決は、健二の右弁解は、行方不明の理由としては、人をして納得せしめるに足る説明とは言えず、にわかに首肯し難いとするのである。
しかしながら、原判決の説示もまた首肯し難い。すなわち、健二の原審証言によると、健二は、本件殺人事件の発生以前から、被告人とともに濱名善右衛門方に同居し、ハイグレランを常用するなどし、就職もしないで全く無為な生活を送つていたもので、生活費はほとんど善右衛門の収入に頼つていたところ、同人の突然の死亡と被告人の勾留のため、生活の基盤を失い、当座は善右衛門の葬儀で集まつた香典や同人の預金を解約して得た金を生活費や被告人への差入に充てていたものの、この金も使い果し、自分の生活をどうするかという現実の問題に直面していたことが認められる。かかる事情をも合せ考えると、健二の述べる前記の弁解は、単なる作りごととは解されない。また、仮に被告人が主張しているように、健二が本件の真犯人であつて、被告人を身代りに立てていたとしたならば、この段階で健二が行方をくらますことは、あからさまに被告人を裏切ることであり、被告人が捜査官に真実を打ち明けることにより直ちに自己に嫌疑を向けさせる結果となるものであつて、常識上からいつても考え難い。したがつて、原判決のこの点の説示は合理性がない。
(4) 原判決は、健二が捜査公判段階を通じ、終始犯行直後に被告人に対し自首を勧めた旨供述しているのに対し、被告人の自供調書では、被告人は、健二から警察に届けるように勧められた事実はないと断言しており、両者の供述は全く対立した内容となつており、健二が自首を勧めたことが事実ならば、被告人の警察に対する電話通報がおよそ自首とはかけ離れた内容に終始しているのに、何ら適切な注意や助言を与えた形跡もなく、その通報の内容についても記憶が不鮮明、かつ曖昧であることは、いかにも不自然、不可解であるとする。
しかしながら、健二の原審及び当審における証言に被告人の自供調書を併せて仔細に検討すると、健二は、被告人に対し警察に通報することを勧めているが、自首することを被告人に説得するとか、被告人がこれを納得したというものではなく、善右衛門の死という事実を前にして、健二も被告人も警察に通報する外に方法がないということから、実際には被告人が自ら警察に一一〇番通報しているが、この事実を、健二は自分が通報を勧めた結果によるものと考え、被告人は自発的に通報したものと思つていたというにすぎないことが認められる。したがつて、この点に関する健二の供述も原判決のいうほど不自然、不可解とするには当らない。
四以上の諸点を総合勘案すれば、健二の原審証言には、表現の曖昧未熟さがあり、また若干の点につき動揺変更はあるものの、被告人を庇おうとした部分を除けば、努めて真実を吐露したあとが窺われるのであつて、結局、内容的には、さきに引用した同人の検察官に対する昭和五〇年一二月四日付供述調書の基本線に沿つて一貫したものとしてこれを理解することができ、しかも被告・弁護人側の反対尋問にも堪えたもので、ゆうに信用することができる。
第五被告人の自白供述の信用性
一本件の動機に関する供述について
被告人の捜査段階における司法警察員及び検察官に対する自供調書で述べられている、本件犯行前夜における被告人と善右衛門との間の喧嘩が、被告人の本件犯行の直接の動機となつたとする被告人の供述の合理性について考察する。
原審証人村田源次の供述及び司法警察員作成の「浜名善右衛門方における親子げんかについて」と題する捜査報告書によると、昭和五〇年一一月一四日夜指令により濱名善右衛門方に赴いた警察官に対し、善右衛門は、当夜の喧嘩の原因を次のように説明している。すなわち、同人の妻富貴子は精神病患者として入院しており、埼玉県では福祉行政のちがいから、治療費等が毎月六万円位いかかり、家計のやりくりがつかないし、富貴子も入院したくないと言つていることから、善右衛門としては、富貴子を身近に置くのが一番安心していられると思うので退院させたい。しかし、富江は、母富貴子が家に帰るとまた管理事務所や商店街に出て行き、騒ぐのでみつともなくてしかたがないので入院させておけ、被告人が妊娠したのにおろしたのもその為であるから治療代や慰謝料を払つてくれ、正式に書類に書いてくれと親子の間でありながら全くひどいことを言い出した。今日も富貴子を病院から家に連れて来るかどうかということが原因で富江と喧嘩になつた。富江だけが判らず、健二は善右衛門の言うことを良く聞いて判つてくれるので助かる。富江は妊娠していて気がいらだつているので今日もこのようになつた、というのである。
一方、被告人は、善右衛門に向つて「濱名さん、いいかげんなことを言つているけれど、今日だつて私の髪を引張つたりしていじめたじやないか」などと親子の間柄とも思われない言葉で怒鳴つていたこと、また被告人は左手首に血の出た跡があり、灰皿には剃刀の刃が置かれているのを警察官が発見していることが認められる。
被告人は、検察官に対する昭和五〇年一一月二九日付供述調書で、前記の喧嘩の原因について大要次のとおり述べている。
「父が昭和五〇年九月一〇日ころ代々木病院に入院したので私が母の面倒をみていたが、母の病状が悪く、被害妄想で団地の事務所の前に座り込み、お巡りさんに『娘に今晩殺される』などと言つたということで大騒ぎをしたことがあり、そのほかにも同様のことがあつた。同年一一月八日に父が退院して来たので、母を入院させてもらつた。父は、母を連れて一一月一一日ころ阿佐ケ谷の叔母の家へいくと言つて出かけ、それから二晩経つた一一月一三日夕方帰つて来た。母をどこへ入院させたか聞いても、そのときは父ははつきりしたことを言わなかつた。一一月一四日夜、もう一度母の入院先を聞くと、父は十分考えて入院させたのだから余計な心配をするなと言つて教えてくれなかつた。父の居る前で松沢病院の主治医に聞いてみると言つて健二が電話をかけようとしたところ、怒つた父が健二の受話器をとり上げようとして二人がもつれて倒れた。私が止めようとして近寄つたとき父から髪の毛をつかんで引き倒され、壁に頭を打ちつけ、一時意識を失ない、気が付くと左手首に切り傷ができていた」。
被告人の右のような供述は、善右衛門の前記の説明及び臨場した警察官の目撃した被告人のその時の言動などともあいまつてよく当日の善右衛門と被告人との間の喧嘩の原因やその状況を表現しているものといえる。
以上によれば、善右衛門の心情としては、被告人が妻富貴子の入院を強く要望し、同女が家にいると被告人のいら立ちがひどいため、前日富貴子を入院させたものの、経済的事情から入院を続けさせることは困難であり、同女を自宅に引き取つて面倒をみたいと考えていたこと、一方、被告人は、母富貴子が家に居ると、健二との生活を乱されるうえ、母の奇行によつて度々恥かしい思いをして来たことから母の入院を強く望んでいたもので、当日も、母を入院させたと言う善右衛門の言葉を信用せず、入院先を確かめようとしたり、さらには、母のために流産したなどと虚偽の事実を挙げて、その治療費や慰謝料の支払の念書を書かせようとした行動から窺えるように、母を入院させたとする善右衛門の言葉が、信用できず、同人が何日また母を家に引き取るかもしれないという不安をつのらせていたことが認められる。しかして、当日の喧嘩は、善右衛門が被告人の髪の毛を引張るなどしたり、被告人が一一〇番通報をして警察官を呼び、あるいは興奮のあまりに自己の手を切るなどの自傷行為に出ていることからも明らかなように、極めて激しいものであつたことが推認される。
ところで、原判決は、少なくとも本件犯行当日においては、被告人と善右衛門との関係は平静、円満な状態に回復しており、もはや両者間に言い争いを重ねるような状況はなく、被告人が善右衛門に対して殺意を抱く程の感情的対立もなかつたことが認められる、としている。なるほど、原判決の認定するとおり、本件犯行当日の朝、被告人は善右衛門に一万円もらつていること、昼間約一時間近くかかつて、被告人が善右衛門の髪の毛を刈つてやり、健二も少し手伝つていること、夕方は、被告人の部屋で、被告人、善右衛門及び健二がテレビを見ながら、善右衛門の作つたおでんで夕食をとつたことが認められる。
しかしながら、このことによつて、被告人の善右衛門に対する殺害の動機がなくなつたと見るのはいささか皮相的というべきである。すなわち、本件犯行当日に至つても、被告人にとつては、前述のとおり善右衛門が母富貴子を家に連れ帰るかもしれないという不安感、不信感は全く解消されていない。加えて、被告人の検察官に対する昭和五一年八月二六日付供述調書及び原審公判廷における供述並びに原審証人長谷川知子同浜名喜美代及び同池本健二の各供述北本市消防署長作成の昭和五五年五月八日付回答書によると、被告人は短気で激し易い性格であること、善右衛門に対して小さい頃から憎悪の念を抱いていたこと、自分の手帳に、同人を殺してやりたい旨をメモ風に記載していたこと、本件の約三か月前にも、被告人は刃物で善右衛門の背後から同人の左肩部に切り付け、同部に長さ約七センチメートル、左肩甲部に長さ約二センチメートルのそれぞれ筋に達する切挫創を負わせて救急車により入院させたこと等の事実が認められ、これらの情況からみて、被告人の善右衛門に対する不満はいつ爆発するかもわからない状態にあつたことが認められる。
原判決は、本件をもつて激情型の犯罪というよりも、犯人はむしろ冷静かつ計画的に被害者を殺害したものではないかとの疑いさえも生じる、というのである。しかしながら、すでに述べた証拠により認められる客観的な事実からも明らかな如く、本件は善右衛門と被告人及びその夫健二が共同生活をしている団地のアパートという密室内で、そのうちの一人である善右衛門が殺害されたのであるから、犯人は部外者でなければ被告人と健二のいずれかであることは直ちに判明するのに、あらかじめ侵入者の兇行とみせかけるような工作もせず、犯行後も死体をそのままにしてほどなく一一〇番に通報しているのであつて、冷静かつ計画的な犯行とはおよそ異なるものであることは明白である。
以上のとおりであつて、被告人には善右衛門を殺害する動機があつたことは十分認められ、その動機に関する被告人の自白供述は十分信用できる。
二犯行状況に関する供述
(1) 被告人の検察官に対する昭和五〇年一一月二二日付供述調書によると、被告人は本件犯行の状況を次のとおり述べている。
「私は、父が洗濯をしているところを刺殺してやろうと考え、ベッドの脇の鴨居にさげてあるハンドバックを起き上がつて開けて、その中から果物ナイフをとり出して右手に持つた。持つた方法は、柄が親指の方で刃が小指の方にして、これを刃を外側に向けて握り、父が居る方に向かつて六畳間から出て行つた。父は、風呂場の出入口の前に向かつて立つており、洗濯物か何かを持つて風呂場に入つて行こうとした。そして、左肘で出入口のドアを押して風呂場の中に入り、前かがみになつていたので、私は、父に『洗濯をしているの』と声をかけ、『うん』と返事をした様に思う。父は、私の殺そうとする気配には気付いていないので、この機会に一思いに刺し殺してやろうと考えて、右手に持つた果物ナイフを頭の高さ位に振りかぶり、父の背中の真中付近をめがけて力一杯振りおろした。背中の真中付近に果物ナイフが突きささつた。どの位の深さにささつたか判らないが、一度だけ突き刺したあと、急に恐ろしくなり、果物ナイフを急いで抜いてそのまま自分の部屋に引き返えして来た」「部屋に帰ると健二が中央に立つていてビックリした様な顔で私のやつた行為を悟つた様であつた。そして、『どれ』とか言つて部屋を出て行き、間もなく戻り『ショック死している様だ』と私に話した。私は、果物ナイフに血がついているのに気付き、洗わなければならないと思い、水道で血を洗い流し、手も洗つて仏壇の引出しの中にこれを隠した」。
被告人は、すでに同月二一日付司法警察員に対する供述調書で、右とほぼ同一の供述をしており、右検察官に対する供述以後も、司法警察員及び検察官に対し、犯行の状況について補足しながらも、本筋については、一貫して右と同様の供述をしているほか、司法警察員作成の同年一二月四日付実況見分調書によれば、被告人は同日犯行現場において犯行の手段、方法を具体的に再現し、演述している。
被告人の以上の供述ならびに演述内容は、自然かつ合理的なものであり、前記第三において認定した証拠によつて認められる客観的な事実ともよく符合し、池本健二の司法警察員及び検察官に対する供述調書の供述内容とも照応するものであつて、信用性の高いものと評価することができる。
(2) ところで、原判決は、被告人の右自白供述の信用性に疑問を呈するので、さらにこの点について考察する。
(イ) 原判決は、被告人の供述による殺害方法では浴槽の蓋の上の血痕がどのように付着したものか合理的な説明ができないという。
原判決が指摘するように、①風呂場出入口内側の木枠上部及び北側部分並びに木枠北側部分に近接した壁面、②風呂場出入口の前に置かれた足拭きマット及びその付近の通路上、③風呂場出入口から通路を隔てて反対側の壁面にそれぞれ血痕が付着している。これを被告人の供述する殺害方法と合せ考察すると、風呂場出入口で風呂場に向かつて前かがみになつていた善右衛門の背後から、被告人が本件果物ナイフで相手の肩甲間部を突き刺したとすれば、その創口から血液が吹き出し、上方に飛散した血液が①、③に付着し、上後方に飛散した血液が落ちて②に付着したものと認めるのが最も合理的である。もつとも、この時点で、同時に善右衛門の前方にも血液が飛散し、その血液が浴槽の蓋に付着したとみるのは、原判決が説示するとおり疑問である。しかしながら、善右衛門はその後風呂場内でドアーを背にして倒れていることから、その間に背中が浴槽に向いて、吹き出した血液が浴槽の上に飛散したとみることも十分可能である。
(ロ) 原判決は、被告人は本件犯行時にネグリジェ或は支那服にカーキ色の半ズボン又は黄土色の半ズボンを着用していたと述べているが、関係証拠によると、右各衣服には、いずれも本件被害者の血液(A型)は付着していなかつたことが認められ、周囲に被害者の血液が飛散しているにもかかわらず、なぜ被告人の着衣にだけ被害者の血液が付着しなかつたのかを合理的に説明することができないという。
なるほど、原判決挙示の証拠によると、捜査段階において、原判決の指摘する各衣服について検査がされたが、いずれの衣服からも被害者の血液が発見されていない。そこでこの点について考察するに、当審証人宮崎健二の供述によると、被告人が本件犯行後着衣を着替えて、犯行時に着ていたものを洗濯機で洗つたような気がする、というのである。被告人も自白供述中で、犯行直後着衣を着替えたと述べている。これは血液が付いたため、着替えたものとも考えられる。ただ科学捜査研究室技術員松山和正作成の昭和五〇年一二月二四日付検査書(鴻鑑第二三一号に対するもの)によれば、支那服から人血O型(被告人の血液型と同型)が検出され、被害者の血液型であるA型は検出されていない。若し洗濯したとすれば、いずれの血液も洗い流される可能性もあるが、水洗い程度であれば、新鮮な血液は洗い流され、古い血液(O型)の付着のみが残る可能性もあることからすれば、右検査の結果から直ちに右の支那服に被害者の血液が付着しなかつたとすることはできない。
さらに、前記第三において認定したとおり、本件犯行現場である風呂場出入口前の通路及びそこに置かれた足拭きマット上の血痕は、主として北側(便所前)ないし東側(洗面台前)付近に飛散していて、これより南側一帯には血痕がみられない。これによれば、被告人が善右衛門を刺した際、被告人が立つていた方向には血液が飛散して来なかつたとも認めうる。
いずれにしても、右着衣から被害者の血液が検出されなかつたことにも合理性があるのであつて、このことをもつて、被告人の自白供述の信用性を疑う根拠とはなし難い。
三犯行直後の自白供述について
被告人が本件の発生直後の昭和五〇年一一月一六日に司法警察員に対して述べた犯行状況についての供述(同日付供述調書二通)は、その内容が前記の同月二二日付検察官に対する供述調書やその他の供述調書と著しく異なる。すなわち
右司法警察員に対する供述調書のうち被告人方で作成した調書(以下「甲調書」という。)によれば、
「善右衛門がトイレに入ろうとしてトイレのドアーの前に立つていた時に、自分は同人を風呂場に突き入れ、風呂場で立つている同人の首を両手で締めた。十分くらいして善右衛門はぐつたりして尻餅をつくようにだらんとして了つたので、私は風呂場を出て玄関の横にあつた果物ナイフを持つて風呂場に行つた。すると善右衛門は全然動かず、風呂場の壁に背中を押しつけて頭を前にたれてだらんとしていた。私はそこへ行つて同人の前から果物ナイフで胸を一回か二回切つた」
というのであるが、鴻巣警察署で作成された調書(以下「乙調書」という。)では、
「(善右衛門の首をしめたあと)勝手場へ行つて、勝手場の引出しに入れてある果物ナイフを持つて行つた。そして、前こごみになつている善右衛門の背中を一回、力一杯突き刺した。そしたら同人は『ああー』とか一声あげて倒れかけていた」「私は刺した刃物は抜いて、夢中で自分の家の中に隠した。今思い出してみるとナイフは私のベッドの下に突つ込んで隠したのだつたと思う」と変つている。しかも同じ供述調書中で、このあと果物ナイフについては、さらに「ナイフはどうしても家の中にあると思います。お父さん(善右衛門)の部屋にもなければ、仏壇のおばあちやんのお骨の下か引出しあたりに入れてあるかもしれません」と述べている。
以上によつて明らかな如く、被告人の右一一月一六日の自白供述の内容は、本件の兇器である果物ナイフを取り出した場所や犯行後それを隠した場所について、さらに被害者を刺した部位や刺す際の被害者の体位について、いずれも甚だしい動揺や相違があるのみならず、善右衛門の首を締めたとか、同人の胸を切つたなどの点は、証拠によつて認められる客観的な事実と明らかに反している。
被告人の供述内容に右のような矛盾、混乱が生じたことについては、本件犯行のあつた昭和五〇年一一月一五日夜から翌一六日にかけての被告人の心理状態に原因があるとみるべき顕著な事由がある。すなわち、すでに認定した客観的な事実及び押収に係る録音テープ一巻によれば、被告人は、本件の発生した直後警察に一一〇番通報をしているが、右通報の中では、自己の犯行であることは話さず、第三者の犯行であるかの如き通話をしていること、その直後被告人方に臨場した警察官に対して、初めはふてくされた様子で事情聴取さえ拒む態度に出ていたこと、しばらくして、自己の犯行を認めたが、その供述内容は前記一一月一六日各供述調書のとおり支離滅裂であること、さらに、一一〇番通話の被告人の会話の内容や音声、臨場警察官の観察した被告人の言動、ハイグレランの服用とその影響に関する健二の原審及び当審各公判廷における証言、同じく被告人の捜査段階及び原審公判廷における各供述等を総合すると、被告人は本件犯行後少なくとも一両日は極度に興奮しているうえ、ハイグレランの薬物による影響も加わり、思考や記憶が混乱した状態にあつたこと、加えて、自己の犯行を否定して責任を逃れようとする気持と、善右衛門の死という事実に直面して、しよせん自己の犯行を認めざるをえないという追い詰められた心境にあつたことが認められる。
一方、事件の数日後には平静を取り戻し、同月二一日付司法警察員に対する供述調書では、同月一六日当時の供述心理にふれて、「前の調べの時は義父を殺したという事実だけはそのとおりお話ししたのですが、その原因となつたことや方法についてお話しすることが私自身こわかつたこともあるし、それに殺人ということからのがれたいというような気持があつたのでうそをついてしまいました」と述べている。さらに、同月二二日付司法警察員に対する供述調書で「義父のシャツの胸のところに血がついていたのを見て、その時は、背中を刺した覚えがあるのに、胸に血がついているから胸を刺したかなと頭の中が混乱してしまいました」と述べているのも、この間の事情をよく物語つている。
たしかに、前記同月一六日付各供述調書に関する限り、原判決の指摘する混乱や不可解な点のあるほか、取調官の認識に追随し、誘導された形跡も否定することはできない。けれども、これらの点は要するに前記のような被告人の精神状態ないし供述心理に基因すると解されるのであつて、これを直ちに、原判決のように健二の身代りになるために迎合した結果によるものとみるのは早計である。他方、被告人の同月二一日以降の捜査官に対する各供述調書及び司法警察員作成の同年一二月四日付実況見分調書中の被告人の犯行態様の再現演述においては、その内容が相互に補完しあい、かつ、ほぼ一貫していて、前記のように客観的事実と符合するうえ、被告人の供述心理に別段留意すべき特別の事情も認められない。
しかるに、原判決は、これらの一一月二一日以降の自白調書を、いわば供述事情において異質なものを含む同月一六日付各供述調書と内容を比較対照し、その間に矛盾や混乱のあることを理由に右各自白供述の信用性にまで強い疑念を表明したものであつて、原判決のこのような証拠判断は相当とは思われない。要するに、被告人の捜査官に対する供述調書中同月一六日付甲及び乙調書二通は具体的な犯行状況に関するかぎり措信できないけれども、同月二一日付以降の自白調書は右と同日に論ずることを得ないのであつて、すでに第五の二においても検討したとおり、その信用性は全面的に肯定するに足りるというべきである。
第六被告人の否認供述の信用性
一被告人は、検察官に対する昭和五一年九月一九日付供述調書及び原審第七回公判廷における供述で、これまでの自白を飜し、本件は夫健二の犯行であつて、被告人はその身代りであると述べている。その供述内容の骨子は、次のとおりである。
(イ) 被告人は、目が覚めて、ベッドに腰掛けていると、健二が台所の方の入口から六畳間に入つて来て、被告人に向つて「浜善をやつちやつた」と言い、右手に血の付いた本件果物ナイフを持つていた。(ロ) その時の健二の服装は、上に被告人の黒色の支那服、下に被告人の黄土色半ズボンを着用していた。支那服の襟首についた紐でできたボタンの一番上がとれて襟首の上端が下つており、健二がラリッて無理に着たのだと思つた。(ハ) 健二が「ナイフを洗つて来い」と言うので、健二に言われるまま同人から果物ナイフを受け取り、台所の流し台の水道の水で果物ナイフを洗つた。同人が「ナイフを隠せ」と言うので、ベッドの下に隠そうとすると、「そこでは駄目だ」と言われ、仏壇の隠し引き出しの中に果物ナイフを隠した。(ニ) 健二は、「お前とはこれでお別れだな」と涙を流し、「自分は死刑になる。死刑にならなくとも、俺は男だから一〇年か二〇年は刑務所へ行かなければならない」と何度も繰り返し言うので、被告人が「もし女が行くとしたら、何年位行かなければならないか」と聞くと、「女なら二、三年だ」と言い、「本当かな」と尋ねると、やはり「女なら二、三年だ」というので、「私がお巡りさんに身代りにやつたと言おうか」とか、「私が行こうか」と言うと、健二は「もし行つてくれれば薬を飲んでいるのをやめるし、ちやんと仕事もやる」「半年位するとお金が入るし、六月頃(被告人の誕生日頃)には迎えに行く」と言つた。それから健二は「浜善を見に行つて来い」「風呂場にいる」と言つたが、こわくて躊躇していると、健二が、こわい顔をしてにらみ付けるので、やむなく一人で風呂場へ行つた。(ホ) 被告人は、警察に知らせる前に、予行演習のつもりで阿佐ケ谷にいる叙母濱名きみ代に電話をし、「お父さんを殺しちやつたから来て下さい」と言つたあと、一一〇番通報をした。(ヘ) 健二が善右衛門を殺害した動機は、健二は仕事をしないで、善右衛門から小言を言われており、そのうえ、常日頃、薬(ハイグレラン)を買う金がなくて「浜善にはお金がある。保険金がある」と言つており、健二はお金が欲しかつたため善右衛門を殺したものと思う。
というのである。
しかしながら、被告人の右否認供述の内容は、不自然かつ不合理であり、しかも客観的な事実と反する点もあつて、真実性に疑問がある。すなわち、
(1) 健二は本件犯行時にわざわざ被告人の支那服及び黄土色半ズボンを着用して犯行に及んだというのであるが、いかにも唐突であり、何のためにこのような服装をしたか理解に苦しむ。被告人は、原審第七回公判廷で、この点について「あとになつて、私に罪を着せたくてあれを着たんだと思います」と述べている。しかしながら、健二が被告人に善右衛門殺しの罪を着せるよう計画してまで、同人を殺害しなければならない動機、原因は全く見当らない。(後記(5)参照)。
(2) 被告人は、健二が「浜善をやつちやつた」と言うのを聞き、手に血の付いた果物ナイフを持つているのを見て、直ちに善右衛門が殺害されたことを信じ、義父が殺害されたことに特段驚ろく様子も、その事実を確かめることもなく、健二が「死刑か、そうでなくても一〇年か二〇年は刑務所に行かなければならない」と言うのに同情し、「女なら二、三年だ」と言われて身代りとなることを承知したというのは、いかにも不自然である。
(3) また、被告人がいかに社会常識に乏しいとはいえ、男なら「死刑か、そうでなくても一〇年か二〇年」の刑に服さなければならないのに、女だと「二、三年だ」とか、「金を作つて半年後には迎えに行く」という健二のあやふやな言辞を容易に信用するとは到底考えられない。
(4) 被告人が身代りを決心した後、叔母に相談するというのならともかく、警察に電話をするための予行演習のつもりで叔母に電話をしたというのも不自然であり、しかも、一一〇番通報をする前に叔母濱名きみ代に電話をしたとの供述は、同人の原審公判廷における証言と相反する。
(5) 被告人は、健二の本件犯行の動機に関連して、健二が善右衛門の生命保険の有無や預金について被告人に尋ねたり、善右衛門の部屋を探したというのであるが、かかる事実は被告人の否認供述中で述べているのみで、何らの裏付けもない。のみならず、仮りに健二が善右衛門の金銭や保険金を目当てに計画的に本件を行つたとすれば、犯人を第三者とみせかけるように工作するならともかく、妻である被告人に嫌疑を着せるような服装をしたり、犯行後、妻に身代りを頼み、かつ善右衛門の所持金や財産を調べることなく、犯行後ほどなく一一〇番通報をさせたことになり、全く理解し難いところである。
二当審では、さらに被告人の前記否認供述の真実性を調査するため事実取調を行つたので、その結果に基づき検討する。
(1) まず証人岡本澄枝、同遠藤恭愛、同稲川こと谷中愛子の当公判廷における各供述の要旨を摘録すれば次のとおりである。
(イ) 岡本澄枝は詐欺被告事件の被告人として昭和五一年五月一九日以降浦和拘置支所に入所した。はじめは独居房であつたが、同年七月三日から同月一五日までの間は雑居四室におり、ここでは、被告人と遠藤恭愛の両名も同房であつた。房内では、看守に気付かれないようにして他の収容者と会話を交わすことが可能であつたので、岡本は被告人から、殺人容疑事実についていろいろの話を聞いた。何日間かにわたつて真相であるとして聞いた要旨は「私(池本富江)の容疑は義父殺しである。富江は義父濱名善右衛門の背中を刃物で突き刺して殺した。その時富江は黒の支那服に半ズボンをはいていたが、右着衣から血液は検出されていない。刃物は血を洗つて隠した。犯行時には睡眠薬か何かを服用していたので、同日逮捕された時には前後もよく分らなかつたが、警察に収容されて一週間くらい経つと頭がすつきりした。富江は以前から義父にいやらしいことをされたりして義父を憎んでいたし金も欲しかつたので殺した」というようなものであつた。
被告人は夫である健二が全然面会に来ないし、手紙もよこさないので憤慨して、自分の執念で健二に仕返しをしてやる、自分の代りに拘置所に叩き込んでやる、とか口癖のように言い、健二をぶつ殺してやるとも言つていた。
岡本は、自分の事件を否認していたので、被告人にも否認する方法を教えた。そして、被告人の代りに健二に拘置所に入つてもらう方法を細かに話し合つた。身代り説を教えたのは岡本である。その前提として、被告人からいろいろ実情を聞いてメモをとつた結果、着衣の血液反応がないし、ナイフの指紋も検出されていないなど警察の捜査取調の入つていないところがあつて被告人と健二のどちらにも有罪の証拠がないのでこれなら健二犯人説で行けると考えた。つまり、真犯人は健二であつて、同人は犯行当時被告人の黒色の支那服を着ていたこと、刃物は健二から言われて被告人が洗つて隠したこと、殺害の動機は薬(ハイグレラン)代と善右衛門の保険金ほしさであることとした。
このように相談がまとまつたので、岡本が同人の担当弁護士を拘置所に呼んで相談したところ、同弁護士から被告人本人が担当検察官に上申書を出すようにと言われたので、このことを被告人に伝え、被告人は上申書を大山検事に提出した。
(ロ) 遠藤恭愛は、窃盗被告事件で昭和五一年六月三〇日に浦和拘置所に入つて被告人を知り、同年七月三日から同月一五日までの間四室で被告人及び岡本澄枝とともに過ごした。房内で岡本や被告人から容疑事実を聞いた。その内容は、被告人が風呂場で善右衛門を後ろから刃物で刺して殺した、被告人の着ていた支那服に血が飛んだ、善右衛門は白い目で睨んだ、ナイフは仏壇に隠した、などということであつた。このことは本当のことと思つた。しかし、四室で一緒になつてから二、三日して、真犯人は夫の健二であり、被告人は健二から身代りを頼まれたので犯人になつている、という話になつた。この話は、健二が拘置所に面会に来ないので同人に罪をなすりつけるのだというもので、健二を真犯人とする方法は岡本と被告人が話し合つて打ち合せをしており、遠藤もそれを聞いていたので、次第にその内容は分つてきた。ついで遠藤はこの件で検事の取調を受けることになつたが、その前に被告人から調べられる時には「ちやんと健二がやつたのだと検事に話すように」と頼まれた。その結果遠藤の昭和五一年七月一六日付検察官に対する供述調書が作成されたのである。もつともその前になつても、被告人は、善右衛門を殺したのは自分だと言つたり、ナイフを手に持つて突き刺す形までやつてみせたりするので遠藤は、どちらが真相か分らなくなつたので岡本に尋ねてみたところ岡本は、真犯人は被告人であるが、岡本が被告人から頼まれて健二が真犯人であるように作つて被告人のいうことに合わせているだけだから大したことはないという返事であつた。また、岡本の口ぶりでは、被告人が真犯人だから、嘘はどうせばれる、検察官には岡本のいうとおりに話をしておけばうまく行くのだということであつた。
(ハ) 稲川こと谷中愛子は窃盗被告事件で昭和五一年八月五日に浦和拘置支所に入つて被告人を知り、同年九月二〇日ないし同年一〇月一二日には同人と同房であつた。その頃同人から夫の身代りで入つているのだと聞いた。拘置所内で一緒に入浴するときに父(善右衛門のこと)を思い出してこわいという会話が出て、本当は自分が殺したのだと私(谷中)に告白した。ついで私が被告人から聞いた話の内容は、父を浴室でナイフで刺した動機は、中学生の時に父から体を犯されたことを恨んでいたことと、薬代ほしさであるということであつた。本当のことを話して気持がすつきりしたなどとも言つていた。要するに被告人は、岡本からいろいろ知恵づけられて健二を真犯人に仕立てたけれども、私からやはり言うべきことは潔く正しく言つて、早く出るべきだなどと忠告したことで、決心がぐらついており、身代り話を撤回しても信用されなくなるということで迷つていた様な感じであつた。
(2) 要旨以上のような証人岡本、同遠藤、同谷中の当審公判廷における各供述を総合すれば、被告人は、本件が原審に係属中であつた昭和五一年七月上旬、健二を真犯人に仕立てて自分はその身代りであつたように作為することを考え、たまたま浦和拘置支所で同房となつた岡本澄枝に相談し、同人は被告人から事実関係を詳細に聴取したうえ、健二を犯人とした場合の不自然な点や、警察の捜査、収集した証拠との矛盾の有無を検討して被告人に右の着想を実現させるように助力し、教示したことが明らかである。
もとより、右三証人は刑事被告人として訴追され検察側に対して弱い立場にあるため検察官の立証意図に迎合する恐れが多分にあり、その証言を採用するには慎重を要することは弁護人も指摘するとおりである。しかしながら、当審における証言当時は右三証人とも当時拘束の理由となつていた刑事被告事件の判決はすでに確定しており、当裁判所での証言事項もその事件とは何ら関係がなく、自己の罪責に対する影響を顧慮する必要は毫もなかつたことが認められる。さらに岡本の証言中、被告人が岡本に自分の犯行として話したとする部分は、被告人の司法警察員に対する同五〇年一一月二一日以降の一連の供述調書の内容と一致し、また岡本が被告人と共に身代りを画策したという具体的事項に関する部分は被告人の検察官に対する同五一年七月一九日付及び遠藤恭愛の検察官に対する同月一六日付各供述調書と照応しており、その証言内容の正確性を示している。その他右各証人の供述に特に信用性を疑わせる事由を見出すことはできない。
(3) 次に、被告人が右各証言に対する弁明として当審公判廷において供述するところによると、その骨子はおおむね次のとおりである。
被告人は、浦和拘置支所に健二が面会にも来ず手紙もよこさなくなつた昭和五一年五月ころから「真犯人は健二であること」を誰かに言いたい気持になつた。しかしまず保釈で出てから八ツ田(鴻巣警察署の看守で、大変親切にしてくれた人)に相談したいと考えていたが、保釈が却下になつたので、最初に乙山教誨師に「真相」を打ちあけた。
同房であつた岡本はてきぱき応答するし信頼できる人物と思つて、おつかあとも呼んでいた。その岡本に真犯人が健二であることを最初に話したのは七月三日夕方である。とくに聞いてほしいという形ですべて「真相」を述べた。警察の取調べで、最初のうちは自分がどういう風にしたのか分らなかつたので首をしめたとか前から切つたとかいろいろに供述してしまつたが、あとからは警察から言われて背中から刺したと変更したこと、健二が支那服と半ズボンを着ていたが、それに血が付いていたこと、健二からナイフを洗つてこいと言われたこと、など岡本に話した。三日位かかつて全部話し終つた。岡本は、(健二が支那服を着ていた理由として)お父さんが死ななかつた場合に犯人は被告人であると思わせるためである、と言い、(健二がナイフをしつかり持つていけと言つたのは)ナイフに被告人の指紋をつけさせるためである、とも言い、「あとはぽんぽん教えてくれた。」健二が父を殺したことの動機としては、被告人から言つたのは父が健二をないがしろにしていたということくらいであるが、岡本の方から金銭が動機だとの話が出た。八月六日の件(後出)も岡本に話したら「それも健ちやんにかつつけちやえ(なすりつけるの意)」と言われた。
要旨以上の如きものを含む詳細な供述を通じて、被告人は、真犯人は健二であるという事件の「真相」を岡本に話したにすぎず、健二を犯人に仕立てることの相談をしたのではない、との趣旨のことを主張する。しかしながら、被告人の当審公判廷における右供述自体を仔細に検討すれば、そもそも被告人が従前の自白をくつがえし否認するに至つた動機や顛末は、要するに健二が被告人に面会に来なくなり冷たくなつたことから同人を恨んでのことであること、被告人は否認することを自己の弁護人や捜査官に話す前に、同房者の岡本と相談していることなどは、むしろ証人岡本及び同遠藤の前記供述に照応するものであり、しかも、すでに述べられたとおり被告人の否認供述自体が多くの不合理や客観的事実に反する点を含んでいることなどを総合判断すれば、被告人の当審公判廷での供述にいう「真相」というのは、客観的な「真実」ではありえず、証人岡本らの前掲供述にあるように「被告人に代えて健二を真犯人に仕立てること」であつたことは明らかである。
(4) なお、被告人が本件以前の同年八月六日に濱名善右衛門の背後から刃物をもつて切り付け、同人に傷害を負わせた事実については、被告人は、従前から捜査官に対しても一切供述していなかつたのに、前記乙山教誨師にはじめて打ち明け、ついで岡本澄枝に話し、以後検察官にも自発的に供述するに至つたのである(被告人の検察官に対する昭和五一年八月二六日付供述調書)。
ところで、右の事件について、被告人は、要するに、健二から善右衛門の保険金欲しさに同人を殺害するように強く言われて、健二の指示に従つてやむなく実行したが、被告人としては殺意は全くなかつた旨供述している。これに対して、健二は、義父を殺害するよう被告人に教唆したことを強く否定し、被告人自身が従前から父を殺すと言つていた旨供述し、両者の供述は対立している。
しかしながら、証人宮崎(池本)健二及び被告人の原審及び当審各供述を対照し、他の関係証拠をも合せ仔細に検討すれば、右善右衛門傷害の動機、態様等の点で被告人の供述に多くの矛盾や不合理があり、にわかに信用することはできない。むしろ、被告人が「本件殺人事件の真犯人は健二であること」を裏付けるため、健二こそ従前から義父に対して強い殺意を抱いていたかのように人々に印象づけるべく、右傷害事件を利用したものであるとの疑がある。被告人があたかも本件の自白から否認に転ずる際に右の事件を自発的に明らかにしたこと、被告人としては、殺人の罪責さえ免れるならば、右傷害事件が発覚する程度の不利益は些細なものであることなどに鑑みれば、被告人が右傷害事件を持ち出したこと自体が被告人の否認供述つまり「健二真犯人説」の虚偽性を一層よく裏書きしているものと言えるであろう。
第七結論
以上に検討したとおりであつて、被告人の司法警察員に対する昭和五〇年一一月二一日付、同二二日付、同年一二月三日付、同月四日付(二通)及び同月五日付並びに検察官に対する同年一一月二二日付、同月二九日付及び同年一二月五日付各供述調書の自白の真実性には、合理的な疑いがあるとはいえず、十分信用に値いするものである。また、池本健二の司法警察員に対する昭和五〇年一一月一五日付及び検察官に対する同年一二月四日付、同月八日付各供述調書の供述内容並びに原審第二一回ないし第二三回公判調書中証人池本健二の供述記載(但し、本件犯行直後被告人が寝室の六畳間に入つて来たとき、果物ナイフを手に持つていなかつた、ないし持つているのを見た記憶がない旨の供述及びその時の被告人の服装に関する供述を除く。)は、十分信用することができ、かつ、右被告人の自白を補強するに足りる証拠価値をもつものである。これに反し、健二が本件殺人の真犯人であり、被告人は健二の身代りであるとする被告人の検察官に対する昭和五一年七月一九日付供述調書の供述内容及び原審第七回ないし九回、第一七回ないし一九回、第二四回公判調書中の被告人の供述記載ならびに被告人の当審公判廷における供述はいずれもその信用性に強い疑問がある。
しかして、右証人池本健二の各供述及び被告人の自白供述並びに前記第二及び第三に掲げる証拠を総合すれば濱名善右衛門を殺害した犯人は被告人であることが認められる。
しかるに原判決は、被告人の自白ならびに池本健二の捜査、公判段階における各供述はいずれもその信用性に強い疑問があり、他に被告人を本件殺人の真犯人と認定すべき十分な価値ある証拠も存しないとして、被告人に対し無罪を言渡したのであつて、ひつきよう原判決は、証拠の評価を誤つた結果事実を誤認したもので、右の誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。検察官の論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
よつて刑事訴訟法三九七条、三八二条により原判決を破棄し、本件については、原審で主張されている被告人の犯行当時の責任能力に関する点を含めて、さらに原裁判所において審理を尽くす必要があると認め、同法四〇〇条本文により本件を浦和地方裁判所に差し戻すこととして、主文のとおり判決する。
(岡村治信 林修 新矢悦二)